Excite エキサイト : 政治ニュース(久間防衛大臣ようやく辞任・・・)
先日「この子たちの夏・1945・ヒロシマ・ナガサキ(女優による地人会・朗読劇)」を喜多方プラザで観る機会があった。
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62年前のあの日をつづった子どもたちの、そして母親たちの手記、手紙、詩で構成された舞台劇は休憩なしで、アッという間の90分だった・・・
1945年昭和20年)8月6日。月曜日の朝を太陽が照り付けていた。午前7時9分。テニアン島の基地を飛び立ったB29がヒロシマ上空に飛来する。ヒロシマの天気を調べるための観測機だった。
7時31分。観測機が去ったことから、出されていた警戒警報が解除された。この解除こそが悲劇をさらに大きくした。
高蔵信子さん(たかくらあきこ・80歳・当時19歳)は爆心地からわずか260Mの所にある銀行に勤めていた。
職場についたのは、原爆投下5分前の8時10分だった。「警報が解除され、もう空襲はないということで、自宅から電車で出勤しました。解除されなかったきっとまだ家にいたでしょうね。ほかの方もたぶん、そうだったと思います」
警報解除によって人々はいつもの生活に戻った。夏休みが戦時体制で短縮され、8月10日から20日になっていたため、子どもたちも学校へ。
当時のヒロシマはおよそ35万人が暮らす国内有数の都市だった。
しかし、敗戦まぎわまで、不思議と空襲をまぬがれてきた。アメリカが原爆の効果をはかるために、あえて攻撃しなかったことなど、人々は知るよしもない。(喜多方演劇鑑賞会会報より)
原爆の投下で
21万人が亡くなり、いまでも
26万人の被爆者が苦しんでいるという現実・・・久間防衛大臣の「原爆投下はしようがない」はどちらから考えても日本を代表する大臣の発言ではない。