会津若松市に「
野口英世・青春通り」があります。現在は喫茶「壱番館」という、英世が左手の手術を受けた会陽医院跡から、「山内ヨネの家」まで続いている「通り」です。
その「山内ヨネ」は野口英世の初恋の人として知られています。その「ヨネ」さんは日本共産党の会津地区委員会創立メンバーでもある故山内鎮雄氏の母親にあたる、と聞かされて驚きました。
1876年11月9日生まれの清作。1888年7月に磐梯山の大爆発がありました。清作11歳のときです。日曜日の朝で弟の清三と近くの小川で魚獲りをしていたようです。会津若松市にある会陽医院での左手の手術(1892年10月)は、磐梯山の爆発から4年後のこと。医師の資格を取得したのは1897年、英世21歳のときです。
英世はその近くにある日本キリスト教団若松栄町教会で洗礼(1895年4月7日)を受けました。
英世の初恋は実りませんでした。
「
夏の夜に 飛び去る流星 誰か之を追ふものぞ 君よ快活に 世を送り給え」(=夏の夜空に飛び去る流星のように私から離れていったあなたを決して追いかけはしません どうかあなた元気にお過ごし下さい)。とロマンチックに詠む、会津は猪苗代町生まれの野口英世、3度に渡るノーベル賞候補でした。
夕焼け・堂島於て10/6